瀬川コウ『完全彼女とステルス潜航する僕等』解説
こんにちは。こちらの『完全彼女とステルス潜航する僕等』についてやっと読む機会があったためストーリーと考察をまとめておきたいと思います。こちらの本はまだAmazonにもあり(2020/3現在)出版社から取り寄せもできるそうですがいつ生産がなくなってしまうかわからないので歴史に残す思いを込めて、まとめていきたいと思います。
青春の失敗のほろ苦さと成長を炭酸に昇華する群像劇です。
1.筆者
筆者は新潮NEX『謎好き乙女』シリーズ、講談社タイガ『今夜、君に殺されたとしても』シリーズ、ノベルゲーム『東京クロノス』などで活躍する瀬川コウ。本人が大学在学中に執筆、出版まで行った作品というから驚きです。しかしフールズメイトという出版社のノベル部門第一弾と銘打った本書に続く第二弾は...(ないようです)
ともかく、筆者の青春ラブコメ(筆者曰く)の第1作となる本書は、瀬川コウ作品で描かれ続ける、青春、痛み、失敗、隠密、理解、謎...が散りばめられた群像劇の原点と言えるでしょう。
青春、という言葉を聞いて思い起こす感情、感覚は百人百様だと思います。しかし、全員にとって悩みの時期であることは共通です。だからこそ様々な化学変化が起きやすく、あっと驚く結果になったりする――。
本作の主人公とヒロインは、一癖も二癖もあります。そこにこそ、唯一と言っていい関係性が生じるのです。二人の、二人だけの、どちらか一方が別の人物だったら成り立たないというような関係が、自分は大好きです。その気持ちをぎゅうぎゅうと込めて、このお話を書きました。ー「謎好き乙女」シリーズに寄せて、瀬川コウ
2.哲学
瀬川コウの作品では主人公の立ち位置は決まっています。①過去に手酷い失敗をし、②そこから哲学を持ち、③隠密行動し、④彼女を理解しようとします。将来に至るまでこのどの要素も欠けてはいません。後述しますがこれこそがただの「ラブコメ」で終わらない理由でありこの立ち位置によって読者は推理を通して痛みを伴いながら人を「理解する」主人公の動きを体験できるわけです。
3.キャラとストーリー
1.キャラ(イメージ図)と役割
日陰井津弦(ひかげいつづる)
本作の主人公でありながら、ステルス潜航する脇役。
椿原結月(つばきばらゆづき)
学級委員長。本作の完全彼女。
小無小百合(こなしこゆり)
学級委員。本作の妹。
和久忠(わくただし)
学級委員。本作の熱血。
一色色葉(いっしきいろは)
本作のライバル。某ライトノベルに同姓同名同容貌のキャラあり...そんなことある?
吉岡(よしおか)
本作の陽キャラ。
2. ストーリー
高校に入学した津弦は、容姿、頭脳、運動神経、すべて「完璧」な椿原結月が傲慢に他の委員を指名しクラスをまとめ始めたことに反感を持つ。
しかしある日学級委員長である彼女が他の学級委員たちと昼食をとっている途中、突然、差し入れられた炭酸飲料を飲まずに持ってどこかへ行ってしまう。
全てが完璧だと思っていた。彼女が炭酸飲料を持って、教室を出るまでは…。
追いかけた先で津弦が目にしたのは、炭酸を飲もうとする彼女。そして...
「からっ...」
そして彼女はそれを飲み込んで一言発する。
何?今、からいって言ったのか?
彼女が炭酸を飲めないことを知る。つまり彼女は「完璧」では決してなかった。
その後、学級委員メンバーの小無子百合に気づかれ、中学時代から子百合が結月が「完璧」であるように、自分が隠密行動をして助けていたことを告げられる。
津弦もこれに加わることになった。僕らのステルス潜航が始まった...
4.場面
1.「完璧」ではない彼女
冒頭であたかも全知全能のテンプレ的委員長として登場した結月は決して完璧ではありません。確かに学年1位の成績でクラスをまとめ上げるリーダーシップを持ってはいるものの炭酸が飲めないなど人間らしい失敗や欠点から逃れられません。例えばある日、ゲームセンターで津弦に見つかった彼女は、変わったカエルのぬいぐるみを取ろうとしますが、
何回やっても彼女はカエルを引き上げられないばかりか、引っかかりもしない。もう六回目なのに。これは認めなければならない。彼女は類まれなクレーンゲームが苦手な人なのだと。
しかし、津弦がぬいぐるみを代わりにとってあげ彼女に渡すと小さな子供がそのぬいぐるみを欲しがっているのを見てすぐにあげてしまいます。
そして結月さんはもう一度少女の頭に手を乗せ、撫でる。
ーその表情は、春風のような微笑みだった。
彼女が完璧ではないことが傲慢さだけでない彼女の優しさになっていたのです。
しかしプライドが高く皆からの評価を常に気にする彼女は失敗・欠点が許せません。(ステルス潜航して手伝ってもらうなんてもってのほかである。)彼女の失敗は、いよいよ引き返せないところまで迫っていました。
2.ライバル一色色葉と 結月さんvs色葉(1回目)
一応今作のライバル的な立ち位置である一色色葉はまた別のベクトルで完璧であろうとした人間です。
「椿原結月は容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、信頼も厚く、正義感もある...だけどな、本来それは私のはずなんだ!」
いわゆる「ぼっち」 である色葉は自分の評価に満足できず(だからこそ「ぼっち」なのかもしれませんが...)「完璧」である椿原結月を打ち負かし、蹴落とし、その人気者の座を奪おうとします。
「それは甘く見過ぎだよ」
僕と同じ結末を迎える気がしてならなかった。
「色葉はリーダーの器じゃない」
これに対し津弦はあからさまに不快感を抱いています。
そして彼女に料理対決を挑み(津弦たちの謀略により)敗北します。
が、同時にこの対決に向けて涙ぐましい努力を重ねていたことが判明します。
自分より才能のある人間を見たとき我々は負けたと感じ諦めるのみでその後も食らいついていこうとする人は少ない(かもしれない)ですが色葉はそれに満足できない。確かに結月を蹴落とそうと思ったこともありますがこれは彼女と同じぐらい評価してほしかっただけで努力も料理や勉強といった正攻法でした。これに津弦は心を打たれます。
たとえ力量が及ばなくても色葉は立派なライバルでした。
3.結月さんvs色葉(2回目)
1回目の勝負の後立ち直った色葉は今度はバスケットボールでの勝負を挑みます。
色葉のチームと、津弦、結月、子百合、他らの委員会チームで戦うことになります。
津弦は結月にボールを回さないようにします。彼女が完璧であるためには彼女には確実にゴール下から完璧なシュートを打ってもらう必要があったためです。津弦のチームは負け越していましたが途中で津弦が倒れて勝負は中止となってしまいます。
4.津弦の過去と和久の哲学-役割について
バスケットボールの一件で津弦、子百合らが彼女が失敗しないようにステルス潜航していたことがバレてしまいます。そのせいで単独行動を始めた彼女は、(手芸で例の変わったカエルを縫おうとしたり、タイピングが異様にできない姿を見せたりして)ボロを出すようになってしまいます。そのことで次第にクラスでも本当に彼女は「完璧」なのか?と疑問に思われるようになっていきます。
津弦はすべて「完璧」な椿原結月が傲慢に他の委員を指名し、クラスをまとめ始めたことに反感を持ち、また「完璧」である椿原結月を打ち負かし、その人気者の座を奪おうとする色葉にあからさまに不快感を抱いていました。
というのも津弦は以前は自分も「完璧」であると思って手酷い失敗をしたからです。自分が「完璧」であると思い込んで期待を背負った上で失敗することで「自分は完璧ではなく何かを成し遂げる器ではない」「また目立つことで恥をかくのはごめんである」という哲学を持ち高校では目立たないようにステルス潜航するようになります。
そのため自分が「完璧」であると思って傲慢な態度をとる結月と「完璧」の器ではないのに「完璧」を目指そうとする色葉に対してかつての自分を重ね同族嫌悪を抱いたのです。
このままでは結月を救えないと思った津弦は熱血な和久に助けを求めます。彼は放課後に相談室を開くなど人を助けずにはいられない人物です。そんな彼なら自分が助けても迷惑になる結月の心に寄り添う方法をわかっているのではないかと考えてのことでした。しかし、彼は自分の哲学を語ります。
「オレは、オレだから。別に相手のためを思って助けてるわけじゃねえよ」
「微妙な話だけどな、要するに、人は結局、自分の気持ちしか結局分からないってこと。...」
人助けをしていても、それは自分の気持ちに従っているだけ。自分のためだということです。
さらに、本題に移ります。
「...津弦がこう考える必要はない。全員オレみたいなやつだと困るだろ?なんつーか、皆それぞれ役割があるんだよ」
役割、これこそがこの本の主題であるように思います。キャラ説明でも役割を誇張して書きましたが津弦はステルスな脇役。結月は完璧な主人公。色葉はライバル。...皆、それぞれの役割があります。
もし、そこに物語があって主役がいたのなら、主役は大活躍するだろう。そして脇役は脇役らしく目立たず、いいように都合よく消費されていく。物語の帳尻合わせ。美味しくない役だ。
-だけど、 脇役がいないと物語を作ることはできない。
同じく物語を作っている人物だから。主役だけなんて、虚しいだけだろう。
僕には僕の役割が、和久には和久の役割がある。
それは必ずしも重ならない。
我々は皆主役としてこの世界に生まれてきますが、やがて自分の不完全さに気付かされます。自分より優れた人間が思った以上にいるのだと。一つの世界では全ての人間が主人公になることはできません。そこで脇役に甘んじることは許せないことかもしれません。かつての津弦や色葉がそうであったように。
しかし、「役割」という観点で考えれば脇役がいなければ「完璧」な彼女が失敗するように、全ての人間が特別で、必要なのだと言えるでしょう。
さらに言えば主人公津弦は「人助け中毒」の役割のように見えます。自分が救われないと思う人物を献身的に助けようとします。これは『謎好き乙女』シリーズの主人公にも言えるのですが自分に似た救われなさそうな存在を助け自分が救われようとします。和久の言葉を借りれば人助けをしていてもそれは自分の気持ちに従っているだけ。自分のためだということです。彼女を助けることで、自分は救われる。補完的な関係であるとも考えられます。
5.結月さんvs色葉(3回目)、クライマックスと「完全彼女」
結月と色葉は前回の仕切り直しとしてフリースローの一騎打ちをします。
結果的に結月は負けてしまいその噂はすぐに知れ渡ってしまいました。
いよいよ結月に対して野次が飛んできてしまいます。耳に入った結月は耐えられず姿を消してしまいます。野次を放ったのはクラスメイトの吉岡で調子のいい人間として書かれています。和久はこれに怒り教室は緊迫します。しかし、津弦は思います。
楽しい話がしたいだけなんだろ?何かを小馬鹿にしてみんなで笑いたいだけなんだろ?
吉岡はそういう役割なのです。別に対象は結月でなくともいいのだから、それさえ間違っていなければ良いのです。「役割」を逸脱した為に問題が起きているのです。
決死の覚悟で津弦は「役割」を超え、ステルス潜航をやめ、あれほど嫌っていた矢面に立ちます。嘘をつき結月の失敗をごまかします。
その結果口論はおさまりました。
同時に津弦はなぜ自分がこんなことができたのか考えます。それは結月さんが自分にとって特別であるからですが、なぜそう感じたのか。「完璧」で傲慢に見えた彼女。しかし炭酸が飲めない彼女。変なカエルのぬいぐるみが好きな彼女。対決に負けてしまう彼女。野次に負けてしまう彼女。でも、欲しかったぬいぐるみを小さな子にあげ、春風のように微笑む彼女。
何が同族嫌悪なのだろうか。むしろ正反対だ。
炭酸が飲めないのもクレーンゲームが苦手なのもアマちゃんが好きなのも。
ただの彼女の人間らしさなんだ。
僕はそんな結月さんがいいと思える。
彼女は、欠点も含めた彼女として、すでに「完全」である。
それに惹かれていたことがわかったのです。
クライマックスではプライドを傷つけられた放心状態の結月のもとに皆が集まります。彼女を手伝い彼女をライバルだと思った「僕等」は「完璧」な彼女ではなく「完全」な彼女だからこそ惹かれ、集まっているのです。彼女の人望であり、同情では決してありません。そのことを理解した彼女はまた「僕等」に頼ることに決めます。
場面は変わり完全である彼女は、克服しようと苦手な炭酸飲料を飲みます。その隣で津弦は、自分が完全彼女に関わり続けることに自分の存在価値を感じ、新たな関係を期待させつつ、物語は終わります。
5.考察
1.失敗
この小説では失敗しない人間が登場しません。「完全」な結月、津弦はもちろんのこと、自分が「脇役」であることを認められなかった色葉、口数の少なさで誤解を招いてしまう小百合、皆失敗します。失敗こそが青春の本質かもしれません。「完璧」な彼女の失敗の小道具は炭酸飲料でした。炭酸飲料は初めて飲んだ時は刺激が痛く、しかし、のちには快いものになります。失敗もそうかもしれません。最初は恥ずかしく、虚しく、心が痛みます。
しかし、結月が乗り越えようとしたように、色葉が立ち向かおうとしたように、津弦が自分の役割として肯定的に受け止められたように、過ぎ去って心に残るのはある種の成長の爽快感かもしれません。
失敗で屈折した主人公が自分の役割を見つめ直す成長譚であるとも思います。
2.役割
本書では役割が強調されています。日"陰"井津弦、椿原結"月"、"小"無小百合、和久"忠"(="正")、一色色葉(他作品のヒロイン=ライバル)、のようにそれは名前にも表れています。主人公(脇役)と完全彼女の関係は、まさに月と影だということです。メタい気もしますが...
3.追記(2020/1/1)
本書が俺ガイルを下敷きにして書かれていることはキャラの命名からして間違いない。俺ガイルは「お互いが理想を押し付けずに知ることができる関係=本物」を追求するために論理武装し続ける話であった。
この話ではどうだろうか? 津弦は、結月のことを完璧だと決め付けていた。それは否定される。あらゆる思考の末、彼女は完全だと結論づける。色葉のことを脇役だと決めつけていた。あらゆる思考の末、彼女はライバルだと結論づける。和久のことを鬱陶しいと決め付けていた。彼の哲学に触れて人物像を改める。
だとすれば、前述の「役割に当てはめる」という考えは間違っているかも知れない。お互いの存在を問い直すことで、その人の本質がわかる。その本質が、互いに重ならない、特別な存在だと思えたなら。その人に理想を押し付けるのではなく、価値を認めることができるのなら。
そんな論理のめばえを表現したのかも知れない。
6.まとめと謝辞
いかがでしたか?以上で本記事は終わりとします。
作品を生んでくださった瀬川コウ先生と1958年にファンタを発売したコカ・コーラ社に感謝いたします。