2020年見聞録(聞いた音楽について)
・2020年に聞いたアルバム(ダウンロードしたもののみ)について簡単にまとめておこうと
言語化下手っぴなのであんまり大したこと書いてませんが
・スーパーカー HIGH VISIONとかが許せないタイプなんですが。JUMP UPとかではバンドサウンドの補強に使われているレベル感でスッキリ楽しめました これは影響される 某とか某とか
・スミス 文学少年とポップス、ブリットロックがどう由来しているのか考えると楽しめますね 歌詞は難解なんだけど
・カネコアヤノ ちゃんとロックなんだよなあ...
・THE TRAVELING LIFE スランプは底無し、みたいに悲しいことも言うんだけどむしろ内面を書かずに作家性が増してるかなと のびのびと書いて欲しい
・Clarity static prevailsの方が好きかな ジミーイートワールドはかなり上品なエモだと思う ソリッドなので好きです
・俺ガイルばっかりじゃないか 東山さんはストイックなので無限に信頼ができる
藤林さんの作詞能力にはカブトを脱ぎました 何を食べたらあんなにロジックに素直な透明な歌詞を書くことができるのだろう
・未だ見ぬ明日に アジカンのアルバムの中でも初期衝動と哲学性、同時に練り上げられているとおもいます 悲しい世界の中でも脈打つ生命、そんなテーマなのかな
・夏は精神やってたので君の名はの「大丈夫」聞いて泣いてました 歌詞が良すぎる
徹底的に君とセカイの二項対立に対し、自分ができることは...愛だけ という美しい世界が広がっています
・黒船 ◎ 七日に一日は仕事もお休みさ だから勉強やめてブログ書いてもいいよね
タイムマシンにおねがいはキャッチーさからよくコピーされていますが全パート空きがないスーパーチームですね
・Amateurs & Professionals ナードのソウルソングが収録されています ミネラルやアメフトと比べられるのかな? 全体として静かで流麗なアルペジオにオタクが涙する感じですが、I'll take you everywhere のように途中で爆発するのも得意そうです
・Boston 米国パワーポップは全て好きです
・ミツメ 本質です
・風街ろまん 才能がデカすぎてあんまりよくわからなかったが多分すごい
・Sticky Fingers ギター触る人間は全員きけ これがかっこいいの基準です
・Pablo Honey 1st厨なのでレディヘの中でも結構好きなんですが同意を得られません
Anyone can play the guitarなんて自分へのベロベロ具合、厭世観、グッとくるし、Creepはアルペジオで号泣します
・Eleven Days at T street スペインのガレージロックリバイバルらしい とてもいいのに情報が全然出てきません When I wake up in your bed ではガレージロックを堪能できる上Bメロやキメなど派手派手です
・SUBTERRANEAN ROMANCE 日本語ガレージロックの中でなんで評価されていないのか?
表題のSUBTERRANEAN BABY BLUES, 三月,...などこういうのでいいんだよこういうのでという必要十分なバンドサウンドが展開され気持ちがいいです
・Diary エモの中でも演奏力高いな〜と かなり今も影響を受けてるっぽいバンド多いですよね 激情とかはよくわからんのでリフだけでいうと、ミネラルとかジミーイートワールドのような硬めの音ではなく結構歪んでいます それだけに音数も多く、速く、焦燥感みたいなのが出てるんだとおもいます 流麗じゃない歪んだアルペジオって健康にいいよね
・White Album : Back in USSR, Helter Skelter, ...ロックという感じがして有名どころさんよりこっちの方が好きです
・Superdrag 米国パワーポップ。陰鬱な雰囲気とポップさどちらも持っていていいな〜とおもいました リフも手数が少ないのに焦燥感がある秀逸な感じのものが多いです ちなみにART-SCHOOLの5曲ぐらいの元ネタになっています やっぱ好きなんすね
・未来電波基地 Youtubeで見つけた謎の個人勢 神聖かまってちゃんとART-SCHOOLの良いとこ取りみたいな感じです パンク
・killing Boyはいいぞ。
・怒涛のaikoゾーン この頃サブスクライブが解禁されました。aikoをきいている時は人はその瞬間だけaikoに"なる"のでこの瞬間日本の人口のほとんどはaikoでした BABYはコード進行、アレンジ共に至高の領域に入っています kiss hugをきいてください
May Dream ではアレンジャーが嶋田さんから川嶋さんに代わりアニソンぽいMIXになってPOPな仕上がりになっていますが
個人的には2018の湿った夏の始まり (ex.ストロー)にあるようなPOPも綺麗さも残るような曲に仕上がっていく過程がすごいとおもいます
・Zerwee おふざけなんだけど完成度があり得ないほど高くweezerの本質ついてるなとおもいます
逆にこれを聞くとWeezerの凄さがなんなのか解像度が上がるのでWeezerを聞いたことがない方はまずはこれから入ってもいいかも知れません(??)
・無罪モラトリアム 幸福論(愉悦編)を1,500回は聞きました デビュー曲なんですね
「時の流れと空の色に 何も望みはしないように.........」
・incesticide DiveがART-SCHOOLの某曲に酷似していて好き
・Wheels of Fire 神
・Definetely Maybe 今夜は僕もロックンロールスター
・Here are OKAMOTO'S 1stでこんなに音楽性が固まったバンドってあった?ないと思う
ストーンズ、ストゥージズにボブディランの歌詞を入れてギターはミッシェル。何それ?
欧州をめぐる3つの分断ーエネルギーを巡って
現在、世界的に、政治経済の潮流は「分断」である。
アメリカではトランプ大統領が敷いたレールに沿って、中国の締め出し、通信事業の欧州からの保護を行っている。中国は反発し一帯一路政策を推進し続ける一方で、香港、ウイグルとの対立を明確化させている。日本は政権交代に伴って、米国との距離を遠ざけ再び中国、欧州との関係を強めつつあるように感じられる。
一方で、欧州自体が一枚岩であるかというと全くそうではない。大国のパワーゲームにより第一次・第二次世界大戦の起点となり、冷戦の最前線となった欧州は、現代になりEUによる統合の時代を迎えたが、再び各地で分断が生じつつある。具体的には、以下の3つの地域に関して分断が起こっており、その理由はエネルギーをめぐる問題である。
・イギリスとEU
1980年代からイギリスは北海での石油、天然ガス開発によりエネルギー自給を達成してきた。その一方で2000年代になり北海油田の枯渇によるエネルギー輸入国への転落が起こる。
これを受けて近年では再生可能エネルギーに大規模な投資を行い、2020年、石炭火力発電の発電量が0になった。
([1]出典:自然エネルギー財団)
イギリスは次の政策を進めている:
1)洋上風力発電
洋上風力の出資はイギリス王室が行う。導入量で世界1位である。2030年までに40GWの電源を洋上風力で賄うように「ラウンド1-3」という政策を行っている。
2)水素エネルギーEVヘの転換
ガソリン車とディーゼル車の新車販売を2030年までに禁止。2030年までに5GWの電源を水素エネルギーで賄う。
イギリスのブレグジットの目的にも、エネルギー政策があるのではないかという見方ができる。
([2]出典:エネ百科)
イギリスはEU法に定められた通り2020年までに「イギリス国内で再エネ率15%」という過大な目標を設定され家計部門に負担になっていた。一方でEU全体の化石燃料・(フランス)原子力発電からの安価な電力が供給されることでその開発の妨げになっていた。
EU離脱によりEU法の制限を受けずにエネルギー開発を進めることができる。またEV開発にあたってもEUからの影響を受けずにパートナー国と独自の開発を進めることができる。
一方で輸出により収益を得ていたEU諸国、特にフランスとしては反対せざるを得ない。
ここに大きな対立の火種がある。
・ドイツ・フランス・イタリア・ギリシャとロシア・トルコ
ギリシャとトルコは共にNATOに加盟しているが、紀元前から仲が悪い国々として知られている。現在この2カ国が係争している案件は、地中海での天然ガス開発である。
東地中海の天然ガス開発では、トルコ・リビア対ギリシャ・イスラエルという対立が強まっている。東地中海では2010年ごろから大規模なガス田が発見され、その価値は7000億ドルにもなる。イスラエルとギリシャが中心となってガスパイプラインを整備しており、欧州全体の消費量の10%に及ぶと推察される。一方でギリシャへの領有権の主張、EUへの反抗的態度などからこれに参加できなかったのがトルコである。トルコは2019年11月、リビア国民合意政府と結び、地中海のギリシャ領海にまで領有権を主張しており、明確に対立姿勢を崩さない。
([3]出典:中東調査会)
これにボラティリティをもたらすのがロシアとドイツの存在である。
ドイツは、リビアやトルコに武器を供給する一方で、トルコからのパイプラインを受けるなど、リスクの供給を行っている。
ロシアもトルコと結びパイプライン「タークストリーム」の敷設を進め、ギリシャ側にも対抗姿勢を見せている。一方でリビア利権に関してはトルコと反対に反政府側リビア国民軍(LNA)を支持しており、この2国の行動により対立が演出されている。
([4]出典:JOGMEC)
結局、「仏独伊ギリシャ」対「露トルコ」の争いがリビアと地中海を巡って起きている。
・ドイツ・ロシアとアメリカ
ドイツ=ロシア間に敷設されたパイプライン「ノルドストリーム2」は、バルト海中でドイツとロシアを直接つなぐものであり、パイプライン利権で潤う東欧諸国は反対しているが、特に反対が大きいのはアメリカである(ロシアに対し経済制裁まで行っている)。アメリカの目的は、ウクライナの安全保障にあると言われている。
地政学的にみると、米国は、ウクライナの取り込みは「NATO、EUの東方拡大」の仕上げに当たる部分であり、マイダン革命まで起こして、西側陣営に加えたものを、簡単に見捨てる訳にはいかない、という面もあるかもしれない。
引用:ロシア:建設進むNord Stream 2とTurk Stream|JOGMEC石油・天然ガス資源情報ウェブサイト
([4]出典:JOGMEC)
一方で、米国が抱える問題はもう一つある。それはシェールガスである。現在天然ガス価格は下落曲面であり、採掘コストの高いシェールガスは売れ行きが芳しくない。市場として有力な国々に着目すると、中国との敵対関係、イギリスの再エネへの転換、ドイツ・フランス・イタリア...へのパイプラインと続けば、シェアを失いかねない。そのための輸出攻勢として、圧力をかけている可能性もある。いずれにせよ、米国の欧州との資源をめぐる分断が始まっている。
・EUの分断が意味するものとは
政治の統合を求めてきたEUが分断されていることは、他の地域の統合にも「本当に合理的なのか?」という疑問を投げかける。現に、アメリカでもリベラルと反リベラルの分断、中国でも香港問題や政治主体、あるいは地域ごとの権力が協調しないことが目立ってきている。世界は分断に向かっていてボラティリティが高まっている。
一方で、通信技術の発展がボーダレス化を進め、国境や国家の意味が薄れている時代も始まりつつある。国籍や居住地にかかわらず同じサービスを受けられる時代になりつつある。
均質なサービスを受けられるのはエネルギーでも同じなのである。
だとすれば、国家が分断によって作り出すのは第一にボラティリティの演出による投資の促進である。イギリスはブレグジットによりリスクオフ資金は減少したが、成長戦略が明確化され他のEU非加盟の北欧諸国と同様に持続的な成長が見込まれる。逆に相場の下落を演出することでリターンを生む可能性を高め、投機を促進する。ロシアはリビア問題に介入することで不安定を作り出し、パイプラインに安定供給する産油国としての地位を高め、石油事業から収益をあげようとしていることさえ想定できる。
第二に競争による科学技術の発展である。エネルギーをめぐる問題においても、水素エネルギー、再生可能エネルギーへの転換は決定事項であると考えられる。これを実現するためには、協調では太刀いかない部分もある。分断されることで覇権争いが生じ、これが最終的には統合をもたらすのではないだろうか?
どちらにせよ、分断の中で新たに生まれる産業があり、そしてそのプレーヤーの中で誰が主導権を得るのか?ということがこの分断の中で確認せねばならない点であろう。
[1]
[2]
http://www.ene100.jp/www/wp-content/uploads/zumen/4-2-4.pdf
[3]
トルコ・リビア:軍事・海洋境界合意による東地中海諸国の対立 | 公益財団法人 中東調査会
[4]
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/_res/projects/default_project/_project_/pdf/8/8080/201801_031a.pdf
[5]
五等分の花嫁-裏テーマ①「夢は悪夢か?」
・五等分の花嫁は、夢で始まり夢で終わる
一巻。結婚式場で居眠りをしてしまう風太郎の夢から始まる。
五つ子との出会いは、夢のような日、あるいはとんでもない悪夢として描写される。
最終巻。結婚式の場で、夢から目覚める。ミサンガが切れる。
未来の出来事が夢であったかのように学生時代の風太郎が目覚める。
つまり五等分の花嫁全体のテーマは夢とその実現である。
・幼少期の風太郎
「自分は誰からも必要とされない人間だ」と感じていた。修学旅行先の京都で四葉に出会い、「誰かから必要とされる人間になる」ことを夢にもち、そのために何か誇れるものが欲しいと勉強に打ち込み始める。さらにこれには、経済的に豊かになり、妹らいはの夢なら「なんでも叶えてやりたい」という動機がある。
・幼少期の四葉
母を楽にさせるため、「誰かから必要とされる人間」になる夢を風太郎と共有するが、同時に姉妹の中で見分けてもらえないことに危機感を感じる。「見分けてもらう」ことを夢にし、リボンを身につける。
・現在の風太郎
最初、お金のためであると割り切っていた家庭教師業から、「誰かに必要とされる」ことを達成し始め、最終的に「五つ子に夢を持ってもらうこと」を目標にするまでに成長する。
・現在の五つ子
一花は女優になるが、「誰かに見てもらいたい」という動機がある。
二乃は姉妹と一緒に調理師になるが、「いつか離れていくと分かっていても、それでも一緒にいる」という動機がある。
三玖は調理師になるが、「我慢しない」という動機がある。
四葉に関しては先述。夢は花嫁あるいは人のサポートをする仕事であり、「見分けてもらう」「誰かに必要とされる」ことに対応する。
五月は先生になるが、「母親に憧れ志す」という動機がある。
・その他の人物
風太郎の妹らいは:直接的に夢が語られることはないが、風太郎が経済的に豊かになろうとするのは妹の夢ならなんでも叶えてやれるようになるためである。
風太郎の母:そもそも風太郎の家が経済的に貧しいのは、風太郎の母が開業した喫茶店が、風太郎の母の病気により閉店したからである。これにより風太郎は、夢に対する疑念を持ち努力を否定する態度を取る(幼少期、かつての父と同じ"アウトロー"。)。
・風太郎の母の店
これは、叶えられなかった夢を表す。叶わなかった夢は、先生(=風太郎)を通して二乃、三玖へ引き継がれる。
・五つ子の母
五つ子の母、零奈がかなえることができなかった夢は、2点に集約される:
1.先生になったことを後悔してしまったこと、2.父親を与えられなかったこと。叶わなかった夢は、先生(=風太郎)を通してそれぞれ五月、五つ子の養父(マルオ)に引き継がれる。
1.五月は、先生になるという夢を、実父に単に母親に憧れているだけなのではないかと指摘される。しかし、風太郎に「勉強を教えてもらう」(=自立のための訓練を受ける)ことにより、実父の呪縛から解き放たれる。「きっと後悔することはないでしょう」という発言。
2.養父マルオは、自分の父親としての役割を自覚できない。「君に父親と呼ばれる筋合いはない」のは、自覚のないことを表す。風太郎は、「自分が父親になる」ことで、「少しは親らしいことをする」ことを問題提起する。自分の実力、あるいは正しさを全国模試によって示し、マルオは、父親としての役割を果たす(学園祭後半)。
・ミサンガ
ミサンガが切れるのは夢が叶った時である。
こちらの考察でもあるとおり、右手のミサンガは1)恋愛、左手のミサンガは2)勉強の願い事を意味する。結婚式のシーンで、ミサンガは相当痛んでおり、切れたと考えられる。
結婚式のシーンで1)自身が必要とし必要とされる花嫁と結ばれたこと、2)五つ子全員が全員夢を持って卒業することの条件が解決された=夢が叶ったことを示す。
・「とんでもない悪夢だ」とは何か
作中で風太郎が表明していたことは2点ある。1点目は中間試験の際にカンニングペーパーに留めた別れのセリフ、「地獄の激務から解放されてせいせいする...でもそこそこ楽しい地獄だった」という発言。2点は修学旅行のラストシーン、「ほろ苦い思い出さえ幸福に感じるのもきっとみんながいたから」という発言。以上により、自身の青春時代を振り返り夢のよう=悪夢のよう=幸福を感じることができた楽しい地獄という図式が成り立つ。
・後書き
まとめると簡単な話なのだがかなりの時間がかかってしまった。読みが浅い点は反省点である。もっと内容に踏み込むことと簡単に解説することに気をつけたい
2(裏テーマ②:先生と生徒の関係は罪か)に続く。
瀬川コウ『完全彼女とステルス潜航する僕等』解説
こんにちは。こちらの『完全彼女とステルス潜航する僕等』についてやっと読む機会があったためストーリーと考察をまとめておきたいと思います。こちらの本はまだAmazonにもあり(2020/3現在)出版社から取り寄せもできるそうですがいつ生産がなくなってしまうかわからないので歴史に残す思いを込めて、まとめていきたいと思います。
青春の失敗のほろ苦さと成長を炭酸に昇華する群像劇です。
1.筆者
筆者は新潮NEX『謎好き乙女』シリーズ、講談社タイガ『今夜、君に殺されたとしても』シリーズ、ノベルゲーム『東京クロノス』などで活躍する瀬川コウ。本人が大学在学中に執筆、出版まで行った作品というから驚きです。しかしフールズメイトという出版社のノベル部門第一弾と銘打った本書に続く第二弾は...(ないようです)
ともかく、筆者の青春ラブコメ(筆者曰く)の第1作となる本書は、瀬川コウ作品で描かれ続ける、青春、痛み、失敗、隠密、理解、謎...が散りばめられた群像劇の原点と言えるでしょう。
青春、という言葉を聞いて思い起こす感情、感覚は百人百様だと思います。しかし、全員にとって悩みの時期であることは共通です。だからこそ様々な化学変化が起きやすく、あっと驚く結果になったりする――。
本作の主人公とヒロインは、一癖も二癖もあります。そこにこそ、唯一と言っていい関係性が生じるのです。二人の、二人だけの、どちらか一方が別の人物だったら成り立たないというような関係が、自分は大好きです。その気持ちをぎゅうぎゅうと込めて、このお話を書きました。ー「謎好き乙女」シリーズに寄せて、瀬川コウ
2.哲学
瀬川コウの作品では主人公の立ち位置は決まっています。①過去に手酷い失敗をし、②そこから哲学を持ち、③隠密行動し、④彼女を理解しようとします。将来に至るまでこのどの要素も欠けてはいません。後述しますがこれこそがただの「ラブコメ」で終わらない理由でありこの立ち位置によって読者は推理を通して痛みを伴いながら人を「理解する」主人公の動きを体験できるわけです。
3.キャラとストーリー
1.キャラ(イメージ図)と役割
日陰井津弦(ひかげいつづる)
本作の主人公でありながら、ステルス潜航する脇役。
椿原結月(つばきばらゆづき)
学級委員長。本作の完全彼女。
小無小百合(こなしこゆり)
学級委員。本作の妹。
和久忠(わくただし)
学級委員。本作の熱血。
一色色葉(いっしきいろは)
本作のライバル。某ライトノベルに同姓同名同容貌のキャラあり...そんなことある?
吉岡(よしおか)
本作の陽キャラ。
2. ストーリー
高校に入学した津弦は、容姿、頭脳、運動神経、すべて「完璧」な椿原結月が傲慢に他の委員を指名しクラスをまとめ始めたことに反感を持つ。
しかしある日学級委員長である彼女が他の学級委員たちと昼食をとっている途中、突然、差し入れられた炭酸飲料を飲まずに持ってどこかへ行ってしまう。
全てが完璧だと思っていた。彼女が炭酸飲料を持って、教室を出るまでは…。
追いかけた先で津弦が目にしたのは、炭酸を飲もうとする彼女。そして...
「からっ...」
そして彼女はそれを飲み込んで一言発する。
何?今、からいって言ったのか?
彼女が炭酸を飲めないことを知る。つまり彼女は「完璧」では決してなかった。
その後、学級委員メンバーの小無子百合に気づかれ、中学時代から子百合が結月が「完璧」であるように、自分が隠密行動をして助けていたことを告げられる。
津弦もこれに加わることになった。僕らのステルス潜航が始まった...
4.場面
1.「完璧」ではない彼女
冒頭であたかも全知全能のテンプレ的委員長として登場した結月は決して完璧ではありません。確かに学年1位の成績でクラスをまとめ上げるリーダーシップを持ってはいるものの炭酸が飲めないなど人間らしい失敗や欠点から逃れられません。例えばある日、ゲームセンターで津弦に見つかった彼女は、変わったカエルのぬいぐるみを取ろうとしますが、
何回やっても彼女はカエルを引き上げられないばかりか、引っかかりもしない。もう六回目なのに。これは認めなければならない。彼女は類まれなクレーンゲームが苦手な人なのだと。
しかし、津弦がぬいぐるみを代わりにとってあげ彼女に渡すと小さな子供がそのぬいぐるみを欲しがっているのを見てすぐにあげてしまいます。
そして結月さんはもう一度少女の頭に手を乗せ、撫でる。
ーその表情は、春風のような微笑みだった。
彼女が完璧ではないことが傲慢さだけでない彼女の優しさになっていたのです。
しかしプライドが高く皆からの評価を常に気にする彼女は失敗・欠点が許せません。(ステルス潜航して手伝ってもらうなんてもってのほかである。)彼女の失敗は、いよいよ引き返せないところまで迫っていました。
2.ライバル一色色葉と 結月さんvs色葉(1回目)
一応今作のライバル的な立ち位置である一色色葉はまた別のベクトルで完璧であろうとした人間です。
「椿原結月は容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、信頼も厚く、正義感もある...だけどな、本来それは私のはずなんだ!」
いわゆる「ぼっち」 である色葉は自分の評価に満足できず(だからこそ「ぼっち」なのかもしれませんが...)「完璧」である椿原結月を打ち負かし、蹴落とし、その人気者の座を奪おうとします。
「それは甘く見過ぎだよ」
僕と同じ結末を迎える気がしてならなかった。
「色葉はリーダーの器じゃない」
これに対し津弦はあからさまに不快感を抱いています。
そして彼女に料理対決を挑み(津弦たちの謀略により)敗北します。
が、同時にこの対決に向けて涙ぐましい努力を重ねていたことが判明します。
自分より才能のある人間を見たとき我々は負けたと感じ諦めるのみでその後も食らいついていこうとする人は少ない(かもしれない)ですが色葉はそれに満足できない。確かに結月を蹴落とそうと思ったこともありますがこれは彼女と同じぐらい評価してほしかっただけで努力も料理や勉強といった正攻法でした。これに津弦は心を打たれます。
たとえ力量が及ばなくても色葉は立派なライバルでした。
3.結月さんvs色葉(2回目)
1回目の勝負の後立ち直った色葉は今度はバスケットボールでの勝負を挑みます。
色葉のチームと、津弦、結月、子百合、他らの委員会チームで戦うことになります。
津弦は結月にボールを回さないようにします。彼女が完璧であるためには彼女には確実にゴール下から完璧なシュートを打ってもらう必要があったためです。津弦のチームは負け越していましたが途中で津弦が倒れて勝負は中止となってしまいます。
4.津弦の過去と和久の哲学-役割について
バスケットボールの一件で津弦、子百合らが彼女が失敗しないようにステルス潜航していたことがバレてしまいます。そのせいで単独行動を始めた彼女は、(手芸で例の変わったカエルを縫おうとしたり、タイピングが異様にできない姿を見せたりして)ボロを出すようになってしまいます。そのことで次第にクラスでも本当に彼女は「完璧」なのか?と疑問に思われるようになっていきます。
津弦はすべて「完璧」な椿原結月が傲慢に他の委員を指名し、クラスをまとめ始めたことに反感を持ち、また「完璧」である椿原結月を打ち負かし、その人気者の座を奪おうとする色葉にあからさまに不快感を抱いていました。
というのも津弦は以前は自分も「完璧」であると思って手酷い失敗をしたからです。自分が「完璧」であると思い込んで期待を背負った上で失敗することで「自分は完璧ではなく何かを成し遂げる器ではない」「また目立つことで恥をかくのはごめんである」という哲学を持ち高校では目立たないようにステルス潜航するようになります。
そのため自分が「完璧」であると思って傲慢な態度をとる結月と「完璧」の器ではないのに「完璧」を目指そうとする色葉に対してかつての自分を重ね同族嫌悪を抱いたのです。
このままでは結月を救えないと思った津弦は熱血な和久に助けを求めます。彼は放課後に相談室を開くなど人を助けずにはいられない人物です。そんな彼なら自分が助けても迷惑になる結月の心に寄り添う方法をわかっているのではないかと考えてのことでした。しかし、彼は自分の哲学を語ります。
「オレは、オレだから。別に相手のためを思って助けてるわけじゃねえよ」
「微妙な話だけどな、要するに、人は結局、自分の気持ちしか結局分からないってこと。...」
人助けをしていても、それは自分の気持ちに従っているだけ。自分のためだということです。
さらに、本題に移ります。
「...津弦がこう考える必要はない。全員オレみたいなやつだと困るだろ?なんつーか、皆それぞれ役割があるんだよ」
役割、これこそがこの本の主題であるように思います。キャラ説明でも役割を誇張して書きましたが津弦はステルスな脇役。結月は完璧な主人公。色葉はライバル。...皆、それぞれの役割があります。
もし、そこに物語があって主役がいたのなら、主役は大活躍するだろう。そして脇役は脇役らしく目立たず、いいように都合よく消費されていく。物語の帳尻合わせ。美味しくない役だ。
-だけど、 脇役がいないと物語を作ることはできない。
同じく物語を作っている人物だから。主役だけなんて、虚しいだけだろう。
僕には僕の役割が、和久には和久の役割がある。
それは必ずしも重ならない。
我々は皆主役としてこの世界に生まれてきますが、やがて自分の不完全さに気付かされます。自分より優れた人間が思った以上にいるのだと。一つの世界では全ての人間が主人公になることはできません。そこで脇役に甘んじることは許せないことかもしれません。かつての津弦や色葉がそうであったように。
しかし、「役割」という観点で考えれば脇役がいなければ「完璧」な彼女が失敗するように、全ての人間が特別で、必要なのだと言えるでしょう。
さらに言えば主人公津弦は「人助け中毒」の役割のように見えます。自分が救われないと思う人物を献身的に助けようとします。これは『謎好き乙女』シリーズの主人公にも言えるのですが自分に似た救われなさそうな存在を助け自分が救われようとします。和久の言葉を借りれば人助けをしていてもそれは自分の気持ちに従っているだけ。自分のためだということです。彼女を助けることで、自分は救われる。補完的な関係であるとも考えられます。
5.結月さんvs色葉(3回目)、クライマックスと「完全彼女」
結月と色葉は前回の仕切り直しとしてフリースローの一騎打ちをします。
結果的に結月は負けてしまいその噂はすぐに知れ渡ってしまいました。
いよいよ結月に対して野次が飛んできてしまいます。耳に入った結月は耐えられず姿を消してしまいます。野次を放ったのはクラスメイトの吉岡で調子のいい人間として書かれています。和久はこれに怒り教室は緊迫します。しかし、津弦は思います。
楽しい話がしたいだけなんだろ?何かを小馬鹿にしてみんなで笑いたいだけなんだろ?
吉岡はそういう役割なのです。別に対象は結月でなくともいいのだから、それさえ間違っていなければ良いのです。「役割」を逸脱した為に問題が起きているのです。
決死の覚悟で津弦は「役割」を超え、ステルス潜航をやめ、あれほど嫌っていた矢面に立ちます。嘘をつき結月の失敗をごまかします。
その結果口論はおさまりました。
同時に津弦はなぜ自分がこんなことができたのか考えます。それは結月さんが自分にとって特別であるからですが、なぜそう感じたのか。「完璧」で傲慢に見えた彼女。しかし炭酸が飲めない彼女。変なカエルのぬいぐるみが好きな彼女。対決に負けてしまう彼女。野次に負けてしまう彼女。でも、欲しかったぬいぐるみを小さな子にあげ、春風のように微笑む彼女。
何が同族嫌悪なのだろうか。むしろ正反対だ。
炭酸が飲めないのもクレーンゲームが苦手なのもアマちゃんが好きなのも。
ただの彼女の人間らしさなんだ。
僕はそんな結月さんがいいと思える。
彼女は、欠点も含めた彼女として、すでに「完全」である。
それに惹かれていたことがわかったのです。
クライマックスではプライドを傷つけられた放心状態の結月のもとに皆が集まります。彼女を手伝い彼女をライバルだと思った「僕等」は「完璧」な彼女ではなく「完全」な彼女だからこそ惹かれ、集まっているのです。彼女の人望であり、同情では決してありません。そのことを理解した彼女はまた「僕等」に頼ることに決めます。
場面は変わり完全である彼女は、克服しようと苦手な炭酸飲料を飲みます。その隣で津弦は、自分が完全彼女に関わり続けることに自分の存在価値を感じ、新たな関係を期待させつつ、物語は終わります。
5.考察
1.失敗
この小説では失敗しない人間が登場しません。「完全」な結月、津弦はもちろんのこと、自分が「脇役」であることを認められなかった色葉、口数の少なさで誤解を招いてしまう小百合、皆失敗します。失敗こそが青春の本質かもしれません。「完璧」な彼女の失敗の小道具は炭酸飲料でした。炭酸飲料は初めて飲んだ時は刺激が痛く、しかし、のちには快いものになります。失敗もそうかもしれません。最初は恥ずかしく、虚しく、心が痛みます。
しかし、結月が乗り越えようとしたように、色葉が立ち向かおうとしたように、津弦が自分の役割として肯定的に受け止められたように、過ぎ去って心に残るのはある種の成長の爽快感かもしれません。
失敗で屈折した主人公が自分の役割を見つめ直す成長譚であるとも思います。
2.役割
本書では役割が強調されています。日"陰"井津弦、椿原結"月"、"小"無小百合、和久"忠"(="正")、一色色葉(他作品のヒロイン=ライバル)、のようにそれは名前にも表れています。主人公(脇役)と完全彼女の関係は、まさに月と影だということです。メタい気もしますが...
3.追記(2020/1/1)
本書が俺ガイルを下敷きにして書かれていることはキャラの命名からして間違いない。俺ガイルは「お互いが理想を押し付けずに知ることができる関係=本物」を追求するために論理武装し続ける話であった。
この話ではどうだろうか? 津弦は、結月のことを完璧だと決め付けていた。それは否定される。あらゆる思考の末、彼女は完全だと結論づける。色葉のことを脇役だと決めつけていた。あらゆる思考の末、彼女はライバルだと結論づける。和久のことを鬱陶しいと決め付けていた。彼の哲学に触れて人物像を改める。
だとすれば、前述の「役割に当てはめる」という考えは間違っているかも知れない。お互いの存在を問い直すことで、その人の本質がわかる。その本質が、互いに重ならない、特別な存在だと思えたなら。その人に理想を押し付けるのではなく、価値を認めることができるのなら。
そんな論理のめばえを表現したのかも知れない。
6.まとめと謝辞
いかがでしたか?以上で本記事は終わりとします。
作品を生んでくださった瀬川コウ先生と1958年にファンタを発売したコカ・コーラ社に感謝いたします。